医学部に行きたいと思います。

思い立ったが吉日。医者になりたいと思ったので、医学部を突破するために色々考えるブログです♡

大量殺人事件や通り魔事件について

 久しぶりの更新になりました。特に何かがあったわけではなくて、忙しかっただけです。(この記事は5月29日頃に下書きを書いていたのですが、公開するのを忘れていました。)

 

 さて、今回はこんな記事のタイトルで、少し剣呑な感じがします。この記事は2019年5月28日朝に起きた川崎市登戸でおきてしまった事件をきっかけに書くのですが、私の中ではずっと書きたかったことでもあります。

 はじめに、この事件で亡くなってしまった方のご冥福をお祈りします。犯人を含めて3名の方が亡くなったようですが、全員に哀悼の意を示します。(もしかしたら犯人に対しては不適切だと思う方もいるかもしれませんが、そのあたりも以下で触れます。)

 

 記事の内容に入ります。たくさん書きたいことはありますが、犯罪心理学に関係することなどは専門家の方に任せるとして、2つのことについて書きたいと思います。まず最も強調したいことは、事件をニュースで見て思ったことは、

           また起きてしまったか・・・・・・

という一種の諦念といいますか、虚しい気持ちです。もはや犯人に対する怒りなどはとっくの昔に消え失せているのです。(ふざけるな、事件が起きたのは今日だろう!と思う人もいると思います。)

 以下のリンクを見てみてください。wikiです。

大量殺人 - Wikipedia

 

 戦後の大量殺人事件の一覧です。これを見るとわかると思いますが、驚くほど多いですよね?5年に1回のペースで起きています。なので

 あぁ、どうしてこんなことになってしまったのだろう・・・・・

とか、偉い人が

 こんな事件が起きてしまってなんたらかんたら

とか言った場合は、その人間はきっと痴呆なんじゃないかと思っているのです。もちろん痛ましいだの、可哀想と言う発言は人間として当たり前ですが・・まず、哀悼の意を示した上で。

 再びこのような事件が起きてしまった。原因を考え、その根本を治療しなくては行けない。

とかなんとか言ってほしいものです。

 私は社会人という呼び方がとても嫌いで、絶対に使いません。(過去の記事に書いたかもしれません。)使わなくても社会の一員であるのは当たり前で、私も含め、私達の社会で起きた事件であるのに、大多数の人間はおそらく関係ないという態度なんだと思います。そして、いざ自分や自分の関係者が巻き込まれたら喚き散らす。

 

 社会人という呼称を使ってる人間がそんな態度だったら、私は恥ずかしくて仕方ないと思います。平和ボケした痴呆で他人任せ、言ってることとやってることが違う。社会人と自らを呼びなら、社会に対する責任を果たせ。まぁそんなことも考えず言葉を使ってるのかもしれません。

 

 と少し話が逸れましたが、民主主義ですし、全員で社会のことについて考えなくてはならないということです。これが次の話にも繋がります。

 

 2つ目は、このような事件の犯人は

・誰でも良かった。

・死刑になりたかった。

などという勝手極まりないことを言うのですが、最近なんとなくどういうことだかわかってきた気がするので書きます。

 こういうことに対する世間の意見としては

・他人に迷惑をかけず1人で死ね

という意見が少なからず出ます。

 

 しかし、それはおかしい。というのも、その犯人もいわゆる「社会人」であるからです。ニートは社会人じゃないって?もし犯人を社会から排他したならば、犯人にとって自分を追い出した社会なんてのは格好の復讐の相手となるのは目に見えています。自分たちと違う他者を排斥するなんてのは歴史を見れば目を見るより明らかで、なにも考えずに社会から排斥するようなことをいう頭が空っぽなやつにも罪を問いたいくらいの気持ちです。

 

 ちょっと過激だったかもしれません。しかし理想論かもしれませんが、私自身も自信を持って社会人と自らを名のれる社会にしていけるよう少なからず努力できればと思っております。結局一部の完全に精神がずれた人を除けば、犯罪者の多くは社会が作り出したものであり、事件が起きてしまえば、加害者だって被害者だって本質的に得をする人間はいないのですから。