医学部に行きたいと思います。

思い立ったが吉日。医者になりたいと思ったので、医学部を突破するために色々考えるブログです♡

最近のクイズ番組って

 あれみんな面白いと思っているのかな?うーん、確かに知識が多いのはすごいことだけど、いつでもなんでもかんでも知ってるわけにはいかないから、少ない知識でうまくやる能力も必要だと思ってしまう。

 東大王が結構人気なのかな?確かに東大の試験だと、多くの知識と相当な問題演習の反復で合格点を取ることはできるのだろうけど、本当に頭のいい人は多分そうじゃない。おそらく数学か理科のどちらかに関しては好きだからという理由で恐ろしいくらい知識があるんだけど、その他の科目は、その得意科目をうまく使って合格点を取るって感じで理科3類を除けば入れてしまう。数学か理科と英語が得意なら理3でも確実なのだろう。理3の合格者には親の都合で海外に住んだことがある人も多いみたいだから、頭が良いってのはあるだろう。(複数の言語を話す人間はそうでない人間に比べて、知能が高いってのはよく聞く話。おそらく楽器も知能に関係あるだろう。)けど友人で恐ろしいくらい頭がいいやつが理3に落ちたのを考えると、あんまりいい試験ではねえなとは思ってしまう。いやまぁ、そいつは入試問題が解けなかったから落ちたわけじゃないんだけどさ・・・東大の試験もクイズ番組の問題のように解けてしまうのが問題だったようだ。頭が良すぎるってのも考えものだ。(その人はS台の東大模試で410点をこえていたので、ちょっと他の人間とは性能が違うっていうか、正直新人類だと思っている。複雑な存在領域の問題も、式を見るとグラフが思い浮かぶらしい。きっと11次元の図形とか想像できるんじゃないかと個人的に疑っている。)

 個人的には問題に対して(普通の知能の人でも!)知ってるか知らないかで、すぐに答えられてしまうようなものは問題ですらないという認識なので、あまり面白くない。もちろん、テレビだから難しいってのはわかる。(テレビで誰も解けないような数学の問題を解いてるのを見ても面白いとは思えない)ちょっと知識系に偏ってるのがだめなのかな。クイズオタクがリストを作って覚えるような感じのは面白くない。(例えば日本にある特徴のある駅一覧や、特徴のある像一覧などを覚えることだ。)

 昔リチャード・ファインマンの本を読んだときに、ファインマンの父親がリチャードにした教育が印象的だったので覚えている。彼はリチャードと散歩に出かけると、そのへんにいる鳥などの動物を指して、なんたらかんたら鳥とめちゃくちゃ適当な名前を言ったそうだ。というのも名前なんてのは人間が決めただけで、その動物の本質にはなんにも関係がないってことを示すためだった。もちろん名が体を表すことも多い。(人間の知恵だ)しかし1番怖いのは、クイズ番組を見た子どもが、やたらめったら名前だけ知っていればいいという思考に陥ることだ。クイズ番組に出演している東大生は(もちろん努力をしているんだろうが)記憶力が平均よりは良いと予想できる。彼らには名前に時間を割いても、本質を見逃さないだけの頭があるからいいだろうが、そうでない人間がその道に走ると、中途半端にものしりなだけの人になってしまいそうで。

 それに彼らが優秀なのはわかるのだが、私が尊敬する人、ガリレオ、ファラデー、ジョン・ドルトン、ガロワ・・・ワイエルシュトラスや、イブン・シーナーやニコラ・テスラ、カントやショーペンハウエルハイデガーウィトゲンシュタイン岡潔鈴木梅太郎・・・挙げれば枚挙にいとまがないが、そのどの1人よりも優秀だとは全く思えない。(ここに挙げた人間の中には、学歴は小卒どころか小学校中退さえいる!)

 例えば、医学部の人がいるが、その人は、人間において名前のついている部位、器官の名前はすべて当然覚えているのだろうか?世に存在する病気や薬について原因や治療法、効能はほぼ覚えているのだろうか?(まぁどんどん新しいものができるので全ては難しいだろうが、新しく出た有力な論文はすべて目を通さないといけない)その程度のことをすべて覚えていないとしたら、医学部の学生ならば他のことをやっている暇はないと思える。(あまりお金の問題には触れたくないが、国立の医学部の学生には税金が一人頭6000万円ほど使われていると思われる。というのも、順天堂大学天野篤先生の公演を聞いたときに、授業料を2000万円近く取る私立の学生でも4000万円の税金がさらにかかると聞いたからだ。)そして、能力のある人間が、他の学生と同じだけ勉強したから他のことをすると、将来あうであろう患者さんに胸を張って言えるのだろうか?

 もちろん、私は人間自分の1番やりたいことをやるべきだと思う。でないと間違いなく死ぬときに後悔するのは容易に想像できてしまうから。(最近の若者言葉にYOLOという言葉がある。ラテン語のCarpe diem,英語のseize the dayと本質的に言っていることは同じだろう。)確かに本来そこまで行けるはずだったなんてのはなかなかわかることじゃない。そこはきっと「沈黙すべき」領域なのだろう。しかし、仮に、仮にだが、多くの人が、マスコミに踊らされ、陳腐なクイズ番組が実は多くの人に不幸をもたらすとしたら、そんな残念なことはないのである。

 と、クイズ番組の話からどうでもいいようなことを書いてきたが、何が言いたいかといえば、きちんと自分の頭で考える訓練をしなくちゃいけないってことだと思う。努力は空気を吸うように当然で当たり前。世の中には努力をしないと見えないものなんてザラだ。(例えば美しさにも、誰の目から見ても美しいものと、努力をしないと美しいとわからないもの(数学や物理なんかはわかり易い例だろう)ってのがあって、どちらも同じように大切だ)そして努力の方向性は、おそらくだが、「今見えないものを見えるようにする」という方向で大きく間違えることはないと思われる。もちろん見るってのはかなり深い意味が込められているんだが、私の尊敬する人に言われたことがある言葉である。(しかも複数人から!)きっとある種の真理を備えた言葉に違いない。